FC2ブログ

「「男」」と「「女」」短編集 第六編 (62)

 達也は、自分の{{過去}}を伝えながら、達也の{{こころ}}も、気持が楽になって来るのを理解していましが、何でだろうと、思うのでした。

 「私は、両親には大量の{{こころ}}の葛藤を抱えており、それでも、可能な限りで、自分が{{こころ}}の奥底に思い出さないようしていました。」
「何で、こんな{{こころ}}を、私が抱えていたのでしょう。」
「何だか、父親の意志がと言うか、{{こころ}}が弱くて、母親が父親を追い出したのかなとも、思いながら成長したのが、私ですよ。」
「そんな、私を今に見ると、私は{{こころ}}の変形した一人の小学生でしたです、ね。」
「何だか、母親が父親を追い出した事もですが、私には、それよりも、もっと、母親の嫌いな、大嫌いな嫌悪感を抱えている事実がありますが、それも、我慢して来たみたいです。」
「母親が、父親を家から追い出したのは、だらしない父親であり、{{気}}の小さい悲しい父親だと、ずっと思っていたのですね。」
「私は、父親が居ない事に、辛い思いをしていましたが、もっと、辛いのは、私が小学1年性から、母親の{{男癖}}でしょうかね。」
「母親と父親が一緒に寝ていた姿など、勿論、見た事もないし、知りませんが、私が1年生の頃から、母親は自宅に、私の知らない男性を連れ込んでベッドで一緒に寝ていましたですよ。」
「精神医学的には、自分を此の世に産み落とした、両親の{{性}}の行為を見るのが、一番に辛いと言いますがね。」
「そう、{{原光景}}と言って、これだけは、見ない方が良いみたいですよ。」
「これは、今、ここで、話をするものでは、関係ないのでしょうが・・でも、私の{{思い}}は精神科医になってから、大きくなって残っています。」
「私が、学校から帰ると、何時も、見知らぬ男性が来ていましたし、私に何の{{話}}もありませんでした。」
「こんな生活は、何時までも、続きましたし、小学6年生までは、同じ生活パターンですよ。」
「母親に、して返した事など、全く有りません。」
「母親に迷惑をかけた事ですがか、直接には無いと思いますが、・・・・。」
「ええ、母親に不満を沢山と抱えていた事などは、どうなるのでしょうか。」
「また、私が、今まで、生きて来たのには、母親が幾らかの食事代金や学校で必要な物など揃えてくれたでしょうかね。」
「お年玉なんて、貰った事も有りませんし、お正月の来る度に、友達と比較しては悲しんでいましたから、子供としては、マイナスの気持ですから、ええ、どう考えましょうか。」
「不満を持つのが、当然でしょうがね。」
「でも、私は、如何に考えるべきなのか、もう少し考えてみます。」
「私の家族の最大の問題であり、母親への{{恨み}}の感情は誰でも抱えますでしょうから。」
「小学1年生、2年生、・・・・6年生までは、同じような母の行動で、毎日と見知らぬ男性が来ていましたし、そのわりには、自宅に泊まる事もなかったのが、今、考えても不思議です。」
「母親を、汚い、何処までも汚れた女だと、嫌っていましから、私は、不幸な子供でした。」
「そう、この考えが、私のマイナスの{{こころ}}であり、私は、幼い頃から、そんなに駄目な人間だったのです。」
「私は、生まれて来るべきでは、なかった{{こころ}}ですよ。」
「私が、後々に知る言葉ですが、{{未生怨}}と言うのだそうで、大変な{{悩み}}&{{苦しみ}}に、なってしまうのだそうです、ね。」
「一般庶民の生活では、このような{{未生怨}}を抱えていると、矢張り、生きるのが困難のようです。」
「私と同じでは、大変な人間になりますよ。」

 この達也でさえ、私でさえ、でも、ここまで、気づくには、矢張り、一度や二度の{{回想}}では、了解が困難のようでしたから、一般庶民には、{{こころ}}の世界を理解するには、それなりの努力が重要ですよね。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
スポンサーサイト